Search Inside Yourself〜瞑想という発想は好きだったけれど、瞑想の実践はいやだった〜

櫻田こずえのベスト本に入りました、Search Inside Yourself。

各章でとても気に入った部分をご紹介させて下さい。今回は第三章と第四章。

瞑想という発想は好きだったけれど、瞑想の実践はいやだった。

(3章より)

これほどストレートに、私達の素直な気持ちを形容した文章はないと思います。
(これはチベットの瞑想の達人の若かりし頃の言葉だそう)

そうです「マインドフルネスってホントいいよね!」と思ったり言ったりしても、実践する人はごく少数なのです。

櫻田も、座禅や瞑想などは昔から知っていて「瞑想すべきだよね!」とか思ってましたが、結局ずーっと実践していなかったのです。実践はいやだったんです。

2,3ヶ月すると、自分の生活の質が劇的に変わっているのに気付く。活力が増し、具合の悪い日が減り・・・(以下略)・・・そこまでくると、もうやらずにはいられなくなる。

と書いてあるけれど、ホントかよ・・・と疑うばかりで、行動を起こさない自分の言い訳ばかりしていた。

だいたいそれは、毎日しっかりやった人だけであり、1日おきとか、サボりがちな櫻田にはその状態は6ヶ月くらいやってこなかったし・・・でも、本当にその時はやって来た!

実際、そんなに言う程劇的には変わっていないけれど、私は今確実に変わって来ていて、それを嬉しく感じるからこそ、毎日(すみません、日曜日はたいてい休みます)朝10分の瞑想を続けられているし、習慣として生活の一部になって来た感があります。

ここまで来たら、続けるのはそれ程苦にならないと思います。

変化の時は急に訪れる

(3章より)

果たして、瞑想を始めても、なかなか効果を感じられず続けられないのが普通だと思います。

続けるためのポイントなど、実践的なハウツーが紹介されていますが、櫻田にはこのエピソードが印象的で心の支えになっています、今も。

私の娘が二歩で数ヶ月停滞したあと、わずか2日で急に歩けるようになった。

一見、進歩らしい進歩がない期間がいら立たしいほど長く続いたあと、突然、ほんの短期間にバーンと途方も無い進歩を遂げる

だから、

瞑想が進歩しているようには見えなくても、やる気をなくしてはいけない。

また、カーネギーの著書のエピソードを思い出しました。「金鉱か何かを掘り当てようと何年も汗水垂らして掘って来た人が、結局目的の鉱脈には辿り着けなくて、安くその場所を売り払った。その直後、購入した人が数メートル掘ったら鉱脈に辿り着いた。」という話。

瞑想が進歩しているようには見えなくても、そこで止めてはいけない。きっと、着々と脳は書き換えられ、「その日」はすぐそこまで来ているのだから。

私の情動は私ではない

(4章より)

焦ったり、悲しんだり、怒ったり・・・喜怒哀楽という情動は、自分そのものではなく、

心と体で起こるたんなる現象で、現れては消える。

怒りで我を忘れるような状況でも、瞑想を重ねていくと、

自分が怒りそのものである状態から、怒りを体で経験する状態へと移る。

情動は私自身ではないから、それに身を任すのではなく、コントロールしたり選択することができるようになる。

もう、これのために瞑想したり座禅したりしてるわけで。

これらは正に毎日瞑想で鍛えていることで、そうやってどんどん情動を客観視できるようになり、怒りそのものになって制御を失うのではなく、怒ったり、イライラする自分を経験する状態へと移行でき、そこに選択の余地が生まれていく。

怒って非合理的な言動をするのか、怒りを見送って落ち着いて次の言動に移るのか。


またそれは、喜怒哀楽に無感動になってしまうのでもなく、むしろ、より深く喜びや楽しみを味わうことができるようになると思います。マインドフルネス瞑想では、何かをシャットアウトして無になることを学ぶのではなくて、自分の感情・情動をより鮮明に見つめることに他ならないから。